(この記事は2010年12月に自分のブログに書いたものを転載したものです)
大坂城(ちゃんと「坂」の字で書きましょう!)というのは、もともと石山本願寺があったところに豊臣秀吉が建てた城ですが、大坂夏の陣で焼失しています。その後、あらたに徳川家康が再建してるんですね。つまり大坂城ってのは豊臣時代のものと、徳川時代のものがあるという話。
ちなみにいまの大阪城(こちらは「阪」の字です)はいろいろとミックスされた復興天守です。

似たような話は名古屋城にも言えるんですけど、これは織田家の場合は「那古野城」と字がちがったので区別もつけやすいです(場所はだいたい同じで、石碑もいまの名古屋城の敷地内にあります)。
このように「同じところにあった別の城」の扱いを攻城団ではどうすべきかというのが悩みのひとつなんですよね。ちょっとまだ答えが出てないのですが、とりあえずはそれぞれのデータを持つ方向で考えています。
ただ大坂城の場合も「まったく同じ場所」ではないので、今回は豊臣時代の大坂城の名残があるところにいってきました。
最寄り駅は地下鉄の天満橋駅です。 大阪駅からいく場合は、東梅田駅まで歩いて谷町線に乗るのがいいですよ(東梅田からだと13分200円)。 天満橋駅に着いたら地上に出て、土佐堀通りに沿って5分ほど歩くと見えてきます。
「府立男女共同参画・青少年センタードーンセンター」というところにあるんですけど、追手門学院大手前高等学校のとなりになります。
もっと近寄ってみました。
ちょっと葉っぱが邪魔ですね。
移築復元なので、元々ここにあったわけではないそうです。でも石と石の間に詰められた小石にいたるまで、細心の注意を払って復元されたそうです(野面積みなので間に小石を詰めてるんですね)。
さらに寄るとこんな感じです。
バシバシと写真を撮っていたら地元の人らしき方から不審な目で見られました。まあそうですよね。
そのままこのブロックをぐるりとまわって、反対側にある追手門学院小学校の壁にもありました。ちょっとだけですけどね。
びっちりコンクリートで埋められていて、ちょっと悲しいです。
さらにちょっと(1分くらい)歩いたところにある、日本経済新聞大阪本社のビル前にもあります。
それと寝屋川に面した壁にも石垣がありますので、橋から見ることができます。
向こうに大阪城が見えてるのがわかりますかね。
秀吉時代とはいえ、大坂城の頃になると打込み接ぎ(うちこみはぎ)でつくられているのかなと思ってたんですが、打込み接ぎが主流になるのは関ケ原の戦い以後のことで、この頃はまだ野面積みが主流だったんですね。
今回ご紹介したポイントです。
ぐるっと歩いてまわっても1時間もかからないと思いますので、大阪城を攻める前に寄ってみるといいですね。
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