福知山城は1871年(明治4年)に廃城になりました。
大半の建物は取り壊されちゃったのですが、最後に残っていた二ノ丸の登城路付近にあった銅門番所が本丸に移築されています。
福知山城といえば石垣です。石垣というか転用石ですね。
転用石というのは墓石や石仏などもともとは他の用途に使われていたものを石垣に使われた(転用された)石のことで、大和郡山城では石垣にお地蔵さん(さかさ地蔵)があったりもします。 福知山城の場合は宝篋印塔(ほうきょういんとう)、五輪塔などの石造物が転用石として石垣に使われていて、見える場所だけでも450個から500個が確認されています。 (ちなみに宝篋印塔というのは、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種です) 再建工事時に約300個が発掘され、その一部が城内2箇所に展示されていました。 もうひとつ、天守入口の前に「豊磐井(とよいわのい)」という井戸があります。 すごく大きな井戸です。 この井戸は8代目城主であった朽木稙昌の父朽木稙綱の神号「豊磐稙綱命」にちなんだものということなので、明智光秀が掘らせたわけじゃなさそうですね。 井戸の深さは50メートルもあって、最深部は海面下7メートルということでした。しかもいまも水が残ってるそうです。 そして天守です。 天守は外観復元で、三重三階の大天守と二重二階の小天守が1986年(昭和61年)に復元されていて、福知山市郷土資料館の施設となっています。 城内は残念ながら撮影不可ですが、2Fにある甲冑体験コーナーだけは撮影オッケーになっています。 かぶってみました。 子ども用の兜もあったんですけど、伊達政宗の兜についている三日月の前立てが取れちゃってました。 天守最上階からの眺めです。 見晴らしはすごくいいです。城下を流れてるのは由良川です。 つづきます。明日はおいしいランチを紹介します。toproadさんが城がたり「よくわかる小牧山城」を企画してくれました。愛知県小牧市と調整してくださり、学芸員の方にZoomで話していただけることになりました。小牧山城の歴史、発掘調査の成果など、いろんな話が聞けると思いますのでぜひご参加ください。
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