大垣城の別名は麋城(びじょう)または巨鹿城(きょろくじょう)です。
どちらも「大きく立派」という意味合いの言葉だそうですね。当時はかなり大きな城郭だったんでしょうね。
それと大垣城の天守は戦争で焼失する前は国宝だったそうです。
現在は外観復元された天守が建っています。

こうやって当時の姿に直していくのっていいですよね。
また現在の外観復元天守は老朽化が進んでることもあり、市民検討委員会は木造再建案を大垣市に提言しているそうです(2006年8月)。予算がかかるので簡単ではないと思いますが、応援したいですよね。
というか入城料が100円(18歳未満無料)なのは安すぎなので、もっととったらいいのに。
ちなみに木造復元は愛媛県の大洲城で16億円かかっていて、名古屋城の場合は試算ベースでなんと342億円もかかるそうです。
ぼくとしてはこういう城郭の保存や保護、あるいは復元といった活動を支援していけるような攻城団を目指したいです。少しでもお役に立ちたい。
城内は資料館になっていました。墨俣城とけっこう似てますね。
改修工事の紹介もあります。軒丸瓦や懸魚(げぎょ)など、けっこう細かいところも復元してるんですね。
ビデオコーナーも充実しています。たぶん全部のビデオを見たら2〜3時間は過ごせるんじゃないかなあ。
関ケ原のビデオ紹介。ちょっとコワいです。
個人的に感心したのはこういう柱に掛かってる解説記事で、この写真に写ってるのは「石田三成の政権維持構想」で、向こう側のは「徳川家康の天下獲り構想」です。
こうやって関が原の合戦(関ケ原の戦い)の背景を紹介してくれてます。
こういうのをゆっくり読みながら見学するのがじつに楽しいんです。勉強にもなりますしね。
それにしてもどう考えても三成のほうに義はあったはずなのに、家康にあれだけの兵力が集まったというのが不思議ですね。立身出世の最後のチャンスと考えた武将が多かったのかもしれないですけど、けっきょく小早川家のようにお家断絶になったりしてるんですよね。
お城を巡ると「もしも……?」についていろいろ考えさせられますよね。
自分がその武将の立場ならどうしただろうかとかもよく考えます。
たとえば関が原の合戦の際に大垣城主だった伊藤盛宗(伊藤盛正)は、大垣城を本陣にしたいという石田三成の要請をいったん拒絶してるんですね。
だけどけっきょくは受け入れて、城を明け渡して、自分は今村城に退去しています。さらに本戦では、小早川秀秋よりも先に松尾山城に布陣しながらも、あとから来た小早川秀秋によって追い出されたそうです。
もし、この伊藤盛宗がもっと強気だったら、意志が強固だったら、歴史はまったく異なるほうに転がっていたでしょうね。
大垣城の攻城記録は明日もつづきます。
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