細川ガラシャといえば、細川忠興の正室にして、明智光秀の娘(三女)です。
洗礼名の「ガラシャ」の由来は、ラテン語で恩寵・神の恵みを意味する「Gratia(グラツィア)」からきてます。スペイン語で「ありがとう」を意味する「Gracias(グラシアス)」の語源ですね。
もともとは「明智珠(明智玉)」という名前でした。
細川忠興、明智光秀という有名武将と深く関係するだけあって、戦国時代の女性としてはトップクラスの知名度を誇る彼女ですが、そんな彼女のキャラクターを案内役にした観光ガイドのアプリが公開されています。
さっそくダウンロードしてみました。
丹後は細川家がかつて治めていた領地で、父・藤孝(幽斎)が信長から与えられた宮津城、また彼が自ら築いた田辺城があります。
「本能寺の変」後に(明智光秀にくみしない意思表明として)藤孝が隠居したあとは、忠興に譲られています。
こうした丹後にあるお城のほか、地元の観光地である天橋立や舞鶴など案内してくれます。
用意されているコースは「西舞鶴」「東舞鶴」「天橋立」「宮津」「京丹後(山陰海岸ジオパーク)」「伊根(舟屋)」「与謝野(ちりめん街道)」の7ルートです。
こんなふうに歴史に関するうんちくを読むこともできます。
さらに地図と連動して地元をまわりやすく案内してくれます。スマホはこういうことができるのでほんとうに便利ですね。
もっともガラシャが丹後にいたのは忠興と結婚した翌年(1580年)から1584年に大坂に転居するまでの4年間で、しかも教会を初訪問したのは大坂転居後ですし、ガラシャと名乗るようになったのは1587年なんですけどね。
(ガラシャはその後も大坂に住んでいて、1600年「関ケ原の戦い」の際に石田三成方の人質になることを拒絶して細川屋敷にて死去します)
とまあ事実関係を知っちゃうと、ガラシャを使った観光キャンペーンはどうなのかなと思う部分もあるのですが、でもこうやっていろんな切り口で戦国時代や、当時のお城について興味をもつ人が増え、またじっさいに訪問する人が増えていくのはとってもいいことだと思います。
ぼくもまだ宮津城、田辺城はいったことがないので、近いうちに攻めてみたいと思います!
ちなみに細川家はその後、小倉城や熊本城に移るわけですが、このあたりの話はまたいずれ。
毎月恒例の月次レポートを公開します。台風や大雨でなかなか出かけられない日が続いていますが、もう少ししたら出かけやすい行楽シーズンがやってくるのでぼくも遠出を計画中です。では今月も攻城団をよろしくお願いします!
つづきを読む訪問ガイドに緯度経度が入力されていた場合の地図の表示方法を変更しました。画面遷移せずポップアップで確認できるようになったのでかなり便利だと思います。
つづきを読む攻城記録を残す際の公開用のメモ欄の名称を「共有メモ」から「訪問ガイド」に変更しましたので、その理由などを説明します。
つづきを読む歴史的にも有名な水攻めの舞台でもある、備中高松城にも攻城団のチラシを置いていただきました。城址にある備中高松城址資料館で入手できます。
つづきを読む今年も団員総会を開催します! 11月16日(土)に昨年と同じ京都アスニーの大きな和室を借りたのでぜひご参加ください。
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