大胡城は牧野康成の居城として知られています。牧野氏のあとは酒井氏の領地となり城代が置かれましたが、1749年(寛延2年)に酒井氏が姫路に転封となった際に廃城となりました。現在城址は本丸跡が整備されており、土塁や空堀を確認することができます。二の丸は駐車場となっていますが、二の丸門跡の桝形虎口周辺には石垣も残っています。また、市内にある正円寺に城門が移築されています。
大胡城を訪問した204人の報告によれば、平均見学時間は35分、平均評価は3.32点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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