末森城跡は土肥親真の居城として知られています。加賀・能登・越中、三ヶ国の国境に近い要衝に位置するため、しばしば合戦の舞台となりました。土肥氏は上杉謙信、柴田勝家と状勢に応じて降伏を繰り返し、前田利家の与力的な立場となった際には利家の妻である芳春院(まつ)の姪を娶りました。その後、利家と越中の佐々成政の間で行なわれた1584年(天正12年)の「末森合戦」の舞台となったことでも有名で、加賀百万石があるのは、この戦いで勝利したことによるとされていますが、「元和の一国一城令」により廃城となりました。現在も遺構の保存状態は良好で、石川県における戦国期を代表する山城です。
末森城を訪問した132人の報告によれば、平均見学時間は1時間42分、平均評価は3.33点となっています。
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歴史上有名人のサイン帳。花押2045点、印章393点が使用した人物名の五十音順に並んでいる。総勢1,112名には天皇、公家、僧、書家・画家などもみられるが武将、大名が大半かな。花押は肉筆なだけに人柄を想像してしまう。個を立てつつ恭順の気持ちも込めてデザインを考えたのかな、筆の勢いとかバランスとか(本人 or 右筆が)何度も練習したのかなと思うと楽しい。バリエーションの豊さ第1位は伊達政宗で花押21種印章9種。細川忠興の印章で「tada uoqui」とアルファベットを使っているのには目を引かれた。雪舟や長谷川等伯らの名前もあってページをめくっていたらあっという間に日が暮れてしまった。
男性ばっかりと思うなかれ、高台院、光明皇后の印章、そして春日局の花押も掲載されている。巻末には没年順の索引があって光明皇后(701~760年没)はその筆頭だ、偉い。
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