松波城は松波畠山氏の居城として知られています。松波畠山氏は5代当主・松波義龍の代に、この地の有力豪族松波氏の名跡を継ぎ、松波氏を称するようになりました。七尾城の支城的役割を担っていましたが、1577年(天正5年)に上杉謙信が七尾城落城後に長沢光国の軍勢に攻められ、6代目当主・松波義親が自害し落城しました。現在城址は「松波城公園」として整備されており、本丸跡に建てられた武道館の近くに城址碑が建てられています。また調査で発見された枯山水庭園の遺構は「松波城庭園」として県の史跡に指定されています。2007年(平成19年)11月に旧松波駅の駅舎を利用してオープンした「松波城址情報館」にも松波城の歴史についての展示があります。
項目 | データ |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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アイヌ民族についてこれまで「シャクシャインの戦い」「地図で見るアイヌの歴史」を読んできましたが、もっと知りたいと思いこの著書を手に取りました。この著書にはアイヌと認識される前の北海道に付いても記載があり、北海道式古墳というものがあることを北海道に22年間住んでいたにもかかわらず初めて知りました。現在の歴史の教科書にも記載のあるシャクシャインの戦いに対して弘前藩も出兵をしており、アイヌ勢と直接戦うことはなかったが、その当時弘前藩内には津軽アイヌの方々が生活しており、彼らは出兵の手助けをしたり、更に兵として参加していたという記録があるそうです。明治以降は日本とロシアとの政治的駆け引きに翻弄されるアイヌ民族を目の当たりにすると共に、この日本も決して単一民族国家では無いことを再認識させられる一冊でした。
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