亀山城は江戸時代における伊勢亀山藩の藩主の居城でした。一国一城令により、丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴がまちがってここ伊勢亀山城の天守を取り壊してしまったという逸話があります(諸説あり)。東海道46番目の宿場町でもあることからも、亀山城は幕府の宿所としての役割があり、上洛する徳川家康、秀忠、家光などが本丸を休泊に利用しています。1636年(寛永13年)には城主となった本多俊次の手で大改修が行われ、天守を失った天守台に多門櫓が築造されました。この多門櫓は当時の位置のまま残る中核的城郭建築として三重県下では唯一のもので、全国的に見ても現存する多門櫓としても貴重なものです。2001年(平成13年)より毎年4月上旬には「亀山城桜まつり」が開催されています。
目次
亀山城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 79.5 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 独立式層塔型 |
天守の階数 | 3重3階 |
天守の種類 | 非現存天守 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1590年(天正18年)頃に岡本宗憲によって築かれたとされる望楼型天守は、1632年(寛永9年)に取り壊され、1641年(寛永18年)に本多俊次によって3重3階の独立式層塔型天守(御三階櫓)として再建された。この御三階櫓は明治に入って取り壊された。 |
築城主 | 岡本宗憲 |
築城開始・完了年 | 着工 1590年(天正18年) |
廃城年 | 1873年(明治6年) |
主な改修者 | 岡本宗憲、本多俊次 |
主な城主 | 岡本氏、本多氏、石川氏ほか |
遺構 | 多聞櫓、石垣、堀 |
指定文化財 | 県史跡(多門櫓) |
復元状況 | 模擬塀 |
更新日:2023/03/31 13:37:22
項目 | データ |
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営業時間 |
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料金(入城料・見学料) | |
休み(休城日・休館日) | 平日、年末年始 |
トイレ | |
コインロッカー | |
写真撮影 | 可 |
バリアフリー |
亀山城の見所は城メモをご覧ください
さらに先の週間天気予報については気象庁のサイト 等で確認してください。
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 亀山公園駐車場(無料) |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
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