正法寺山荘は、永正年間に亀山城主・関盛貞によって築かれた山荘です。
もともとは京都大徳寺の末寺として正法寺をこの地に創建し、関宗家の寺と別荘を兼ねていましたが、織田信長の伊勢侵攻の際には石垣や土塁が築かれ、砦もしくは詰の城として考えられてたようです。
1977年からの発掘調査によって土塁、井戸、石組用水路、建物跡などが検出され、1981年1月には国の史跡に指定され、保存整備されています。
国指定史跡正法寺山荘跡
関氏一族は平家を祖とし、室町時代鈴鹿川一帯に勢力をのばして、関氏を名乗るようになります。
関氏の本城は、亀山市若山の地に在って、十六世紀には神戸(かんべ)城(鈴鹿市)、国府城(鈴鹿市)、峯(みね)城(亀山市)、鹿伏兎(かぶと)城(関町)も一族で固め、関五家と呼ばれる北勢随一の土豪でした。
ここ関の地では、京都大徳寺の末寺として砦(とりで)を兼ねた正法寺(しょうぼうじ)山荘の創建や現在のまちの基になるまちづくりに関氏は努力してきましたが、やがて織田・豊臣氏による全国統一の前に衰退の運命をたどります。 亀山市教育委員会
正法寺山荘跡の観光情報
住所 | 三重県亀山市関町鷲山字構 |
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URL | http://www.kameyama-kanko.com/home/genre/history/etc03/index.html |