門司城は平知盛が源氏との合戦に備えて築かせた城ですが、1559年(永禄2年)と1561年(永禄4年)に起こった大友義鎮と毛利元就との合戦、「門司城の戦い」の舞台となった城として知られています。関門海峡を見下ろす交通の要衝であったため、大友氏と大内氏、大内氏滅亡後は毛利氏の間でが争奪戦が繰り広げられました。現在、城跡は和布刈公園として整備されています。1892年(明治25年)に大日本帝国海軍の下関要塞が築かれたため遺構はほとんど残っていませんが、本丸跡には当時の砲台の土台が残っています。戦国期の遺構としては、石垣が一部残っています。
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【戦国軍師入門】北九州をめぐる戦い――小早川隆景・立花道雪の激突
なぜ毛利氏が京のある東ではなく西へ侵攻したかというと博多がほしかったようです。 小早川隆景と立花道雪の対決という戦国ファンなら心躍るカードですが、ふたりは20歳ほど離れています。もっとも毛利元就は道雪よりさらに16歳ほど上なのですが。 あと多々良浜では九州に落ち延びた足利尊氏が菊池武敏らと戦ってますね。
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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アイヌ民族についてこれまで「シャクシャインの戦い」「地図で見るアイヌの歴史」を読んできましたが、もっと知りたいと思いこの著書を手に取りました。この著書にはアイヌと認識される前の北海道に付いても記載があり、北海道式古墳というものがあることを北海道に22年間住んでいたにもかかわらず初めて知りました。現在の歴史の教科書にも記載のあるシャクシャインの戦いに対して弘前藩も出兵をしており、アイヌ勢と直接戦うことはなかったが、その当時弘前藩内には津軽アイヌの方々が生活しており、彼らは出兵の手助けをしたり、更に兵として参加していたという記録があるそうです。明治以降は日本とロシアとの政治的駆け引きに翻弄されるアイヌ民族を目の当たりにすると共に、この日本も決して単一民族国家では無いことを再認識させられる一冊でした。
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