三笠城は牛尾氏の居城で「尼子十旗」のひとつに数えられます。牛尾氏はもともと出雲守護・京極氏に従っていましたが、戦国時代に尼子氏の重臣となり、さらに尼子義久が毛利氏に敗れると毛利氏に従いました。尼子勝久が1569年(永禄12年)に挙兵すると、城主・牛尾弾正忠幸信も尼子軍に加わりましたが、翌年の「布部山の戦い」で尼子方が大敗すると、三笠城も毛利輝元の軍勢に攻められ落城しました。現在城址に遺構はほとんど残っていませんが、本丸の周囲に切岸を確認することができます(土塁や石垣が残っているとの情報も)。また本丸跡に標柱が建てられています。
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「日本史の知識をアップデートするための勉強会」にて榎本先生から紹介もあり、読んでみることにしました。幕末から明治初期に渡り、加賀藩の御算用者であった猪山信之、直之、成之3代に渡り残された家計簿その他の書簡・日記から、その当時の武士の経済状態や考えが良く解る内容となっています。猪山家が困窮する家計を如何に立て直したか、また幕末から明治にかけて時代が変わる中で猪山成之がどのように考え行動していったかが、そして当時の士族が時代の流れの中でどのようになっていったのかの一端を垣間見ることが出来ました。この本が原作となった2010年公開の映画「武士の家計簿」の中で、原作では娘の髪結に際にお金がなく絵に描いた鯛を用いたエピソードが、長男の着袴の際のエピソードとして描かれておりましたが、映画の方も楽しく鑑賞させて頂きました。
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