深江城は安富氏代々の居城として知られています。戦国時代、安富純治・純泰父子は日之江城主・有馬鎮貴を離反して龍造寺隆信に従うと、1582年(天正10年)には有馬氏と組んだ島津氏の攻撃を受けましたが、籠城して撃退しています。しかし1584年(天正12年)に起きた「沖田畷の戦い」で龍造寺隆信が討死すると、安富純泰は佐賀に逃れ、その後は深江氏を称しました。江戸時代に入り、1618年(元和4年)に松倉重政が島原城を築く際に残っていた石垣も持ち去られましたが、「島原の乱」では一揆軍の籠城に使われました。現在城址周辺は住宅地となっており遺構はありませんが、城址碑が建てられています。熊野神社は出丸と伝わります。
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深江城(高来郡)へのアクセス情報 情報の追加や修正
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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