別名 赤穴城、瀬戸山城、衣掛城、藤釣城
赤穴瀬戸山城は赤穴氏の居城で、尼子十旗のひとつとしても知られています。備後、石見、出雲と三国を結ぶ要衝にあり、1542年(天文11年)には大内義隆と陶晴隆に、1562年(永禄5年)には毛利元就によって攻められるなど、たびたび戦火に巻き込まれました。「関ヶ原の戦い」後に出雲に入封した堀尾吉晴は重臣の松田左近吉久を城主に任じて城を改修させましたが、1615年(元和元年)の一国一城令により廃城となりました。現在城址は山麓の赤名小学校脇から登山道が整備されており、石垣や土塁などを確認することができます。また赤穴氏の菩提寺である大光寺には歴代城主の墓所があります。
目次
赤穴瀬戸山城に関するデータ 情報の追加や修正
631 m( 175 m)
内郭:-- 外郭:--
赤穴常連
着工 1377年(永和3年)
1615年(元和元年)か
松田吉久
赤穴氏、松田吉久、堀尾因幡
曲輪、土塁、石垣、堀切、虎口
町史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 631 m( 175 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 赤穴常連 |
築城開始・完了年 | 着工 1377年(永和3年) |
廃城年 | 1615年(元和元年)か |
主な改修者 | 松田吉久 |
主な城主 | 赤穴氏、松田吉久、堀尾因幡 |
遺構 | 曲輪、土塁、石垣、堀切、虎口 |
指定文化財 | 町史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/25 03:57:15
赤穴瀬戸山城へのアクセス情報 情報の追加や修正
道の駅「赤来高原」
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 道の駅「赤来高原」 |
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