別名 吉田龍ヶ谷城、竜ヶ谷城、吉田の盾
龍ヶ谷城は久長但馬守によって築かれた城です。鉢形城の支城で、1567年(永禄12年)に阿佐見伊勢守が武田信玄の軍勢が侵攻してきたことを伝えた「吉田之楯」に比定されています。その後、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」で北条氏が滅亡すると、但馬守は上杉景勝に仕えたとされます。現在城址には土塁や空堀などの遺構を確認することができます。
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260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。
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