犬伏城は上杉謙信の家臣である大熊朝秀が城代をつとめた城です。朝秀が城の改修と松之山街道(上杉軍道)の整備を担当しました。謙信は関東遠征の際、一泊目に直峰城下に宿泊し、二泊目にここに泊まったとされます。謙信死去後の「御館の乱」では景勝方の拠点として使われ、上田衆の小森沢政秀らを入城させると景虎方に加担した北条氏にそなえました。その後、上杉氏の会津移封後は堀秀治の支配下に置かれましたが、1610年(慶長15年)に堀氏が改易されると廃城になったと思われます。現在城址には土塁や堀切などを確認することができ、本丸跡に城址碑と案内板が建てられています。また居館跡である山麓の集落には空堀などの遺構が残されているほか、近くにある松芋(まつお)神社には上杉謙信の小刀「備州長船兼光」や日の丸軍配が奉納されています。
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「日本史の知識をアップデートするための勉強会」にて榎本先生から紹介もあり、読んでみることにしました。幕末から明治初期に渡り、加賀藩の御算用者であった猪山信之、直之、成之3代に渡り残された家計簿その他の書簡・日記から、その当時の武士の経済状態や考えが良く解る内容となっています。猪山家が困窮する家計を如何に立て直したか、また幕末から明治にかけて時代が変わる中で猪山成之がどのように考え行動していったかが、そして当時の士族が時代の流れの中でどのようになっていったのかの一端を垣間見ることが出来ました。この本が原作となった2010年公開の映画「武士の家計簿」の中で、原作では娘の髪結に際にお金がなく絵に描いた鯛を用いたエピソードが、長男の着袴の際のエピソードとして描かれておりましたが、映画の方も楽しく鑑賞させて頂きました。
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