別名 富士山城
太平山城の詳細は不明ですが、皆川氏の支城であったと推定されています。皆川氏と北条氏による合戦の舞台になったとも伝わります。また太平山神社の南東に伸びる尾根上には「謙信平」と呼ばれる平場があり、ここは1569年(永禄12年)に「越相同盟」が結ばれた際に上杉謙信が立ち寄り、兵馬の訓練をおこなったとされます。現在城址はハイキングコースとして整備されており、本丸跡に富士浅間神社が建立されています。ただし遺構はほとんど残っておらず、一部石垣が確認されますがいつ築かれたものかは特定できていません。なお謙信平からは関東平野を一望でき、とくに紅葉の時期は絶景です。
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260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。
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