大熊城は諏訪上社大祝氏の一族である千野氏の居城として知られています。1542年(天文11年)に武田信玄と高遠頼継の連合軍が諏訪へ侵攻した際、千野伊豆入道と千野南明庵の兄弟が立て籠もっていましたが、武田氏に攻められ落城しました。その後、頼継が反乱を起こすと、千野氏は武田氏に従って諏訪衆として働き、さらに武田氏滅亡後は千野房清が諏訪頼忠の家臣として徳川氏に従属する使者をつとめています。城址の南側は中央自動車道建設により消滅していますが、現在も土塁や空堀などの遺構を確認できます。
大熊城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
大熊城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する