有賀城は諏訪氏の一族である有賀氏の居城として知られています。1542年(天文11年)に高遠頼継が挙兵した際は武田氏に味方するも、1546年(天文15年)に有賀泰時は木曽義昌に通じたため武田氏に滅ぼされました。その後は原虎胤、千野靭負尉が城主となりました。江戸時代には諏訪頼水の家臣である千野丹波守房清が城主をつとめています。現在城址には土塁や堀切などの遺構が残っており、北麓に千野氏の菩提寺である江音寺があります。登城口は県道50号線沿いにあり、冠木門が復元されています。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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