長沼城は蘆名氏と二階堂氏によって争奪戦が繰り広げられた城です。1566年(永禄9年)に二階堂盛義が蘆名盛氏に敗れると、蘆名氏の家臣である新国貞通が城主となりましたが、「摺上原の戦い」で蘆名氏が滅亡すると、新国氏は伊達政宗に仕えました。その後は会津地方の支配者が替わるたびに城主も交替し、蒲生氏郷時代には筆頭家老の蒲生郷安が、上杉景勝時代には重臣の島津忠直がそれぞれ城主をつとめました。現在城址は公園として整備されており、本丸跡に祀られた稲荷神社の社殿裏手に石垣が一部残っています。この石垣の上には三重の櫓が建てられていたと伝わっています。
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368 m( 40 m)
内郭:-- 外郭:--
長沼隆時
着工 1260年(文応元年)
1615年(元和元年)
上杉景勝
長沼氏、新国氏、蒲生氏、島津忠直(上杉氏)、玉井数馬介(蒲生氏)
石垣、土塁、曲輪、堀
市史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 368 m( 40 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 長沼隆時 |
築城開始・完了年 | 着工 1260年(文応元年) |
廃城年 | 1615年(元和元年) |
主な改修者 | 上杉景勝 |
主な城主 | 長沼氏、新国氏、蒲生氏、島津忠直(上杉氏)、玉井数馬介(蒲生氏) |
遺構 | 石垣、土塁、曲輪、堀 |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/26 03:46:48
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長沼城趾駐車場(無料)
項目 | データ |
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駐車場 | 長沼城趾駐車場(無料) |
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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