蓬田城は安東盛季の弟である潮潟四郎道貞の居城として知られています。その後、南部氏の所領になると奥瀬建助が城主となって奥瀬氏が数代つづき、さらに文明年間(1469年~1487年)には相馬佐伝四郎則政が安東氏の庇護のもと城主となり、蓬田越前守則政と名乗りました。 1585年(天正13年)、大浦為信(津軽為信)の侵攻により蓬田城は油川城とともに落城し、蓬田氏は南部に逃れ、そのまま廃城になりました。城域は大館と小館にわけられ、大館の入口付近に標柱と案内板が建てられています。遺構としては土塁や堀、土橋などを確認できます。
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20 m( 20 m)
内郭:-- 外郭:--
潮潟四郎通貞か
着工 1238年(嘉禎4年・暦仁元年)
1585年(天正13年)
潮潟氏、奥瀬氏、蓬田氏
曲輪、堀、土橋
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城(平城) |
標高(比高) | 20 m( 20 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 潮潟四郎通貞か |
築城開始・完了年 | 着工 1238年(嘉禎4年・暦仁元年) |
廃城年 | 1585年(天正13年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 潮潟氏、奥瀬氏、蓬田氏 |
遺構 | 曲輪、堀、土橋 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/18 03:45:35
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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