小島陣屋は江戸中期に松平信治によって小島藩の藩庁として築かれた陣屋です。信治は三河十八松平のひとつ、滝脇松平氏の出身です。興津宿から甲州街道に至る身延街道を見下ろす位置に築かれており、石垣を用いた三段の曲輪をもつ縄張りでした。石垣の高さは一部4mに達するものもあります。明治に入り廃城となったあとは御殿書院が小学校として利用されていましたが、1928年(昭和3年)に払い下げられ、現在は小島町文化財資料館として移築現存しています。また陣屋跡には石垣が残っており、案内板が建てられています。
小島陣屋を訪問した194人の報告によれば、平均見学時間は38分、平均評価は3.62点となっています。
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攻城団の「日本史の知識をアップデートするための勉強会」の予習として手に取りました。この著書は平氏の繁栄から滅亡までを描いた敗者の記録となっています。今までは平氏が圧倒的な兵力で保元、平治の乱を勝ち抜いてきたと思っていましたが、実は源氏側の準備不足が招いた結果であり、平氏自らが抱える兵力はそれ程多くはなかったようです。この事は各地の反乱を抑えるための追討使派遣の際も後白河院の宣旨があって初めて兵が集まる形となっており、「いざ鎌倉」のかけ声の下集まってくる鎌倉幕府の御家人とは違うところで、その違いが最終的には平氏滅亡に繋がることになったと感じました。また、一ノ谷合戦の鵯越の逆落としが義経ではなく、先導役であった多田行綱が行ったことも今回知りました。このように、テレビなどの影響もあるかもしれませんが、今まで自分が理解していた内容と違った歴史に触れることが出来た一冊となりました。
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