一乗寺山城はこの地の土豪である渡辺氏が築いた詰の城であるとされています。現在の一乗寺堀の内にあった宮内少輔城(渡辺城)が平時の居館でした。また畝状竪堀などの遺構が朝倉氏の居城である一乗谷山城に酷似していることから、1570年(元亀元年)の「志賀の陣」の際に浅井・朝倉方が修築拡張したと考えられています。1573年(元亀4年)、将軍・足利義昭が織田信長と争うと、渡辺宮内少輔晶は義昭方につきましたが、義昭が敗れて京を追われると降伏します。その後は豊臣秀吉に従い、晶の子の渡辺内蔵助糺は豊臣秀頼に従って「大坂夏の陣」で討死しました。現在城址には土塁や堀切のほか、虎口などの遺構も確認できます。
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