怒田城は三浦一族の水軍基地として使われた城です。『平家物語』や『源平盛衰記』にも記されている堅固な要害で、三浦氏の居城である衣笠城の支城として築かれました。もとは岡崎義実の城館でしたが、杉本義宗に引き継がれた伝わります。その後、1247年(宝治元年)に「宝治合戦」で三浦氏が鎌倉北条氏に滅ぼされるとともに廃城となりました。城址には竪堀などの遺構は認められないことから戦国時代には利用されなかったと考えられています。現在城址は「吉井貝塚」として神奈川県の史跡に指定されており、史跡公園となっています。遺構は多くはありませんが公園内に空堀と土橋跡を確認することができます。また船を置いた一帯が「舟倉」という地名となって残っています。
目次
怒田城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
怒田城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
治安の悪化に伴い悪党が現れ始めた鎌倉末期。
主人公・赤松円心の播磨を中心に畿内全体へと展開していく物語です。
天下を決するような戦はできないが、せめて自分の存在で重要な戦の行方を左右したい。そんなことを考えながら、暴れるべき時は暴れ、耐えるべき時は耐えた。
倒幕の流れを汲んだ足利尊氏に加担し、九州に落ちた尊氏を追討する新田の行軍を引き付けに引き付けます。
絶対に落ちない城、白旗城の築城のシーンが描いかれており、白旗城の名前の由来がこの小説を読んでわかりました。
『悪党の戦旗 嘉吉の乱始末 』、『残月―竹田城最後の城主、赤松広英』をあわせ、播磨赤松三部作と言えると思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する