本庄城は本庄宮内少輔実忠によって築かれた城で、東本庄館からここに本拠を移しています。1567年(永禄10年)に北条氏邦の攻撃を受けて落城すると、以降は北条氏の家臣となりました。「小田原征伐」では当主の本庄近朝が小田原城の開城に際して自害したため本庄氏は滅亡し、その後、徳川家康が関東入封すると小笠原信嶺が城主となり城を改修しています。信嶺の死後、家督を継いだ信之が下総古河へ加増移封されたことにともない本庄藩は廃藩となり、城も廃城となりました。現在の本庄市役所の裏手にある城山稲荷神社が城址で、鳥居の手前に城址碑が建てられています。遺構としては市役所付近に土塁が残っています。また城山稲荷神社には実忠手植えと伝わるケヤキが残っており、埼玉県指定天然記念物となっています。ちなみに現在城址とされている場所は信嶺が改修ではなくあらたに築いた城の位置で、実忠が築いた城はここから東南の段丘上に築かれていた可能性が指摘されています。
本庄城を訪問した146人の報告によれば、平均見学時間は24分、平均評価は2.75点となっています。
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