物集女城は秦氏の一族である物集女氏の居城として知られています。織田信長が上洛を果たし、細川藤孝に西岡(にしのおか)周辺を支配させると、物集女忠重はこれに抵抗したため、1575年(天正3年)に藤孝の居城である勝龍寺城で謀殺され、物集女城も廃城となりました。現在城址は民家と畑になっていますが、主郭部を囲う土塁と堀を確認することができます。また物集女公民館に物集女城の案内図や復元模型が展示されています。
物集女城を訪問した124人の報告によれば、平均見学時間は17分、平均評価は2.50点となっています。
物集女城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
【9/21、京都府京都市】清浄華院で「物集女宗入公450回大遠忌 摸刻像開眼式」開催
9月21日(土)、大本山清浄華院(京都府京都市)において「物集女宗入公450回大遠忌 摸刻像開眼式」が開催されます。誰でも参列可能です。
【9/15、京都府向日市】向日市文化資料館で講演会「その後の物集女氏」開催 - お城ニュース by 攻城団
9月15日(日)、向日市文化資料館(京都府向日市)において京都乙訓ふるさと歴史研究会歴史講演会「その後の物集女氏」が開催されます。参加無料、事前申込不要。
物集女城へのアクセス情報 情報の追加や修正
物集女公民館の前に駐車可能
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物集女城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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