高津戸城は桐生氏と由良氏、のちに由良氏と阿久沢氏で争奪された城です。1579年(天正7年)「御館の乱」の際に由良国繁に送られた書状には、北条氏が由良氏の領有を認めることが書かれています。このとき阿久沢氏は本拠である深沢城も含め所領を奪われる形となりましたが、1584年(天正12年)に国繁と北条氏直が敵対して離反すると、阿久沢氏は北条方へつき由良氏から独立し、所領を回復しています。その後は豊臣秀吉による「小田原征伐」まで使用されました。なお高津戸城には父を殺された里見随見勝政・勝安の兄弟が仇討ちを画策するも果たせず、由良氏に攻められ討ち死にしたという悲話が残っていますが、これは後世に創作された物語の可能性が高いそうです。現在城址は「高津戸公園」を含むハイキングコースとして整備されており、土塁や堀切などの遺構を確認することができます。また「山田氏及び里見兄弟の墓」のみ、1976年(昭和51年)に市の史跡に指定されています。
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270 m( 100 m)
内郭:-- 外郭:--
山田七郎平吉之
着工 承徳〜康和年間(1097年〜1103年)
1590年(天正18年)か
山田氏、里見氏、由良氏、阿久沢氏
曲輪、土塁、堀切
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 270 m( 100 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 山田七郎平吉之 |
築城開始・完了年 | 着工 承徳〜康和年間(1097年〜1103年) |
廃城年 | 1590年(天正18年)か |
主な改修者 | |
主な城主 | 山田氏、里見氏、由良氏、阿久沢氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/03/29 03:40:00
高津戸城へのアクセス情報 情報の追加や修正
ながめ公園駐車場(無料)
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | ながめ公園駐車場(無料) |
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