丸山城は「天正伊賀の乱」の要因となった城です。北畠氏の養子となった織田信雄(北畠信意)は1578年(天正6年)、伊賀の領国化を図るために重臣の滝川雄利に命じて丸山城を築かせましたが、これに反発した伊賀の国人たちによって攻められ、一揆軍に占領されました。その後、第一次、第二次と二度にわたる伊賀侵攻の末、伊賀を完全に領国とし、雄利を再び城主としました。雄利が松ヶ島城に移った頃に廃城となったと思われます。城址は伊賀随一と評されるほどの規模で、削平した曲輪跡をはじめ、土塁や堀切などの遺構が良好に保存されています。また本丸跡にある天守台上には、大正時代に建立された丸山城址の石碑があります。
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213 m( 80 m)
内郭:-- 外郭:--
不明だが、3重の複合天守が建っていた可能性あり。
北畠具教
着工 1576年(天正4年)
1584年(天正12年)か
織田信雄
滝川雄利
曲輪、天守台、土塁、堀切、櫓台、土橋
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城(丘城) |
標高(比高) | 213 m( 80 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守メモ | 不明だが、3重の複合天守が建っていた可能性あり。 |
築城主 | 北畠具教 |
築城開始・完了年 | 着工 1576年(天正4年) |
廃城年 | 1584年(天正12年)か |
主な改修者 | 織田信雄 |
主な城主 | 滝川雄利 |
遺構 | 曲輪、天守台、土塁、堀切、櫓台、土橋 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/26 03:39:25
丸山城へのアクセス情報 情報の追加や修正
登城口から10分
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 登城口から10分 |
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