別名 桐生城、桧杓山城
柄杓山城は中世の豪族・桐生氏の居城として知られています。戦国時代、桐生氏の全盛時代を築いた桐生助綱は上杉謙信が関東へ出兵するとこれに従い、謙信が去った後は古河公方・足利義氏に従っています。その後、助綱が没すると内紛が絶えず、由良成繁に急襲され、1573年(天正元年)に桐生氏は滅亡しました。成繁はこの城を隠居城にしています。1578年(天正6年)には成繁の死去に乗じて桐生親綱が奪回を図りましたが失敗しています。1590年(天正18年)に北条氏が滅亡すると由良氏は牛久へ領地替えとなり廃城となりました。現在城址には堀切で区画された曲輪跡などが状態良く保存されており、本丸跡は公園として整備されています。また、麓の渭雲寺付近が居館跡とされます。
目次
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361 m
内郭:-- 外郭:--
桐生国綱
着工 1350年(観応元年)
1590年(天正18年)
由良成繁
桐生氏(桐生佐野氏)、由良氏
曲輪、土塁、堀切
市史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 361 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 桐生国綱 |
築城開始・完了年 | 着工 1350年(観応元年) |
廃城年 | 1590年(天正18年) |
主な改修者 | 由良成繁 |
主な城主 | 桐生氏(桐生佐野氏)、由良氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切 |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/03/29 03:38:55
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