高田城は三浦氏によって築かれた城です。その後、尼子氏や毛利氏によって何度も攻められ落城しますが、三浦氏はそのたびに奪還しています。しかし1576年(天正4年)以降は宇喜多氏によって支配され、江戸時代は小早川氏、森氏の領地となり城番が置かれました。森氏改易後は一時直轄領となり、江戸中期の1764年(明和元年)に譜代大名の三浦明次が西尾藩より転封して勝山藩が立藩しました。当初は高田藩と呼んでいましたが、勝山城に改称したことにともない勝山藩となり、幕末まで三浦氏が10代つづきました。現在城址は二の丸が野球場になっていますが、山頂の本丸周辺には堀切などの遺構が残っています。また市内に最後の城主、10代・三浦顕次(たかつぐ)が暮らした「椎の木御殿(旧三浦家別邸)」があります。なお、高田城を築城した三浦氏と江戸時代に勝山藩主となった三浦氏は同祖異系です。
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