獅子ヶ谷城は小田切氏の居城として知られています。慶長年間(1596年〜1615年)に小田切氏が築いたと伝わっていますが、縄張りの単純さなどから北条氏が関東を支配していた時代にすでに存在し、小机城の支城として機能していたとも、さらにさかのぼって鎌倉時代から室町時代初期に築城されたとも考えられています。現在城址は「みその公園」として整備されており、空掘や堀切などの遺構が残っています。また、小田切氏が江戸移住に際してその屋敷の一部を横溝氏に譲ったとされる「横溝屋敷」が横浜市文化財に登録されており、無料公開されています。
獅子ヶ谷城を訪問した119人の報告によれば、平均見学時間は33分、平均評価は2.33点となっています。
獅子ヶ谷城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
獅子ヶ谷城へのアクセス情報 情報の追加や修正
横溝屋敷駐車場(無料)
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
獅子ヶ谷城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
獅子ヶ谷城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
獅子ヶ谷城の周辺3km以内にあるスポットを表示しています。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団の「日本史の知識をアップデートするための勉強会」の予習として手に取りました。この著書は平氏の繁栄から滅亡までを描いた敗者の記録となっています。今までは平氏が圧倒的な兵力で保元、平治の乱を勝ち抜いてきたと思っていましたが、実は源氏側の準備不足が招いた結果であり、平氏自らが抱える兵力はそれ程多くはなかったようです。この事は各地の反乱を抑えるための追討使派遣の際も後白河院の宣旨があって初めて兵が集まる形となっており、「いざ鎌倉」のかけ声の下集まってくる鎌倉幕府の御家人とは違うところで、その違いが最終的には平氏滅亡に繋がることになったと感じました。また、一ノ谷合戦の鵯越の逆落としが義経ではなく、先導役であった多田行綱が行ったことも今回知りました。このように、テレビなどの影響もあるかもしれませんが、今まで自分が理解していた内容と違った歴史に触れることが出来た一冊となりました。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する