八幡山城は駿河守護・今川範政が駿府館の支城として築いた城です。1476年(文明8年)、今川義忠の没後に起きた小鹿派と竜王丸派による跡目争いが勃発すると、鎌倉から派遣された太田道灌の軍勢がここに布陣しました。この内紛劇は今川氏の被官で伊勢新九郎と名乗っていた頃の北条早雲によって解決し、早雲はそのまま城を修築し麓に居館をかまえました。その後、早雲は内紛の首謀者であった小鹿範満を倒した功により興国寺城を与えられて移りました。以降は再び今川氏の持ち城となり、今川氏滅亡後は武田氏が進駐するなど、駿河攻防の要所として使用されましたが、徳川家康の関東入封にともない廃城となりました。現在城址は「八幡山公園」となっており、曲輪跡や空堀などの遺構を確認することができます。
八幡山城を訪問した134人の報告によれば、平均見学時間は34分、平均評価は3.00点となっています。
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