比石館はのちに松前藩の家老職となる厚谷氏の館城です。館内部からは縄文後期の遺跡・遺物が発見されていることから、もともとアイヌのチャシだったものを厚谷氏が館城として改修したものと考えられます。また、これまで「コシャマインの戦い」でアイヌに攻められ落城した館のひとつと考えられていましたが、調査の結果により当時はこの館は存在せず、その後に築かれた可能性も指摘されています。現在、館跡には軍神「経津主神」を祀った「館神社」が建てられており、城址碑と説明板が設置されています。なお「比石」はアイヌ語で「ピツウシ=石多き所」を意味するそうです。
比石館を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
項目 | データ |
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アクセス(電車) | |
アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 付近に駐車可能 |
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アイヌ民族についてこれまで「シャクシャインの戦い」「地図で見るアイヌの歴史」を読んできましたが、もっと知りたいと思いこの著書を手に取りました。この著書にはアイヌと認識される前の北海道に付いても記載があり、北海道式古墳というものがあることを北海道に22年間住んでいたにもかかわらず初めて知りました。現在の歴史の教科書にも記載のあるシャクシャインの戦いに対して弘前藩も出兵をしており、アイヌ勢と直接戦うことはなかったが、その当時弘前藩内には津軽アイヌの方々が生活しており、彼らは出兵の手助けをしたり、更に兵として参加していたという記録があるそうです。明治以降は日本とロシアとの政治的駆け引きに翻弄されるアイヌ民族を目の当たりにすると共に、この日本も決して単一民族国家では無いことを再認識させられる一冊でした。
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