小幡陣屋は織田信長の二男、織田信雄の孫にあたる織田信昌によって築かれた陣屋です。はじめは福島村に築かれましたが、のちに南の小幡村に陣屋が移されました。織田氏が転封になったあとは松平氏が入封し、幕末期には小幡城と呼ばれました。城下町としての街並みが美しく、現在も土塁や堀のほか、1621年(元和7年)に造営され国の名勝にも指定されている大名庭園「楽山園」が残っています。また近隣の崇福寺には信雄らの墓があります。
小幡陣屋を訪問した230人の報告によれば、平均見学時間は53分、平均評価は3.38点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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