真里谷城は上総武田氏の祖とされる武田信長によって築城され、その後は真里谷武田氏(その後の真里谷氏)の居城となりました。4代・真里谷信勝は足利義明が小弓御所を称すると房総管領に任じられるなど、上総地方で勢力を築きますが、その後は一族内の争いによって支配力を失っていきます。以降、この地は北条氏と里見氏の係争地となりました。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際に落城し、そのまま廃城となりました。現在城址はキャンプ場になっており、本丸跡まで登山道が整備されています。
真里谷城を訪問した136人の報告によれば、平均見学時間は38分、平均評価は3.33点となっています。
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攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。
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