国分山城の築城時期などは明らかではありませんが、戦国時代には河野氏の支配下にありました。1585年(天正13年)の羽柴秀吉による四国征伐では小早川隆景の軍勢によって攻撃され、城主である村上武吉は戦わずして降伏しています。その後、福島正則や池田秀氏、小川祐忠らが城主となりますが、「関ケ原の戦い」の功により20万石に加増された藤堂高虎が今治城を築城したため、廃城となりました。現在、城址のある唐子山の中腹には高虎の跡を継いで藩主となった今治藩主(久松松平家)の墓所があり、県指定史跡となっています。
国分山城に関するデータ 情報の追加や修正
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106 m( 92 m)
内郭:-- ha 外郭:-- ha
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唐子山の山頂を削平して本丸とし、石垣で普請し天守などを配置。山麓には、今も「御屋敷」といわれる東西130m、南北145mの広大な居館跡が残る。
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1600年(慶長5年)か
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河野氏、小早川氏、福島正則、池田秀氏、小川祐忠、藤堂高虎
曲輪、石垣
市史跡
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登録日:2015/08/08 16:03:31
更新日:2025/01/18 03:37:19
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