本与板城はもともと守護上杉氏の重臣である飯沼氏の居城でしたが、天文年間(1532年~1554年)に、長尾景虎の命を受けた直江景綱が、飯沼頼清を討伐して本与板城に入ってからは直江氏の居城となりました。その後、景綱が与板城を築き、居城を移したあとも本与板城は支城として機能したといわれていますが、上杉氏とともに直江氏が会津に転封となったため、廃城になったと推定されています。
目次
本与板城に関するデータ 情報の追加や修正
92 m( 80 m)
内郭:-- 外郭:--
籠沢入道か
着工 1334年(建武元年)頃
1598年(慶長3年)
飯沼氏、直江氏
曲輪跡、堀切、土塁、井戸跡
県史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 92 m( 80 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 籠沢入道か |
築城開始・完了年 | 着工 1334年(建武元年)頃 |
廃城年 | 1598年(慶長3年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 飯沼氏、直江氏 |
遺構 | 曲輪跡、堀切、土塁、井戸跡 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/20 03:30:11
本与板城へのアクセス情報 情報の追加や修正
あり(4台)
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | あり(4台) |
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