別名 與板陣屋、与板城、與板城

与板陣屋は与板藩の藩庁として、牧野忠成の次男である牧野康成によって築かれた陣屋です。当時は与板城の麓に構えられました。その後、幕府直轄地(天領)時代を経て、1705年(宝永2年)に掛川藩から井伊直矩が2万石で入封します。1804年(文化元年)、井伊直朗が若年寄となり城主格になったため築城を開始し、1823年(文政6年)に完成しました。1868年(慶応4年)の戊辰戦争では藩主・井伊直安は宗家である彦根藩にならって新政府軍に恭順し、そのため奥羽越列藩同盟軍による攻撃をうけ陣屋は焼失しましたが、大手門と切手門は焼失を免れ、移築されています。現在跡地には与板町ふれあい交流センターが建てられており、「与板藩城館跡」の石碑が建立され冠木門が復元されています。
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情報提供元:楽天トラベル
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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