佐敷城は梅北国兼らが起こした「梅北の乱」の舞台になった城として知られています。築城年代は明らかではありませんが、加藤清正によって近世城郭に改修されました。清正の死後も肥後支配のための重要な支城のひとつとして維持されていましたが、1615年(元和元年)の一国一城令により廃城となります。なお「島原の乱」後には破却不十分として、ふたたび徹底的な破却が行われましたが、二度にわたって破却されたにもかかわらず本丸、二の丸の石垣はよく残っています。城址は現在、佐敷城跡城山公園として整備されており、2008年(平成20年)3月には国の史跡に指定されています。
目次
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88 m( 80 m)
内郭:-- 外郭:--
『肥後国絵図』には3重の天守が描かれているが、1993年(平成5年)から2001年(平成13年)にかけて行われた発掘調査では礎石が見つからず、実在したかどうかは不明。
佐敷氏
着工 南北朝時代
1615年(元和元年)
加藤清正
佐敷氏、相良氏、島津氏、宮原景種、加藤重次
石垣
国史跡(佐敷城跡)
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 88 m( 80 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 『肥後国絵図』には3重の天守が描かれているが、1993年(平成5年)から2001年(平成13年)にかけて行われた発掘調査では礎石が見つからず、実在したかどうかは不明。 |
築城主 | 佐敷氏 |
築城開始・完了年 | 着工 南北朝時代 |
廃城年 | 1615年(元和元年) |
主な改修者 | 加藤清正 |
主な城主 | 佐敷氏、相良氏、島津氏、宮原景種、加藤重次 |
遺構 | 石垣 |
指定文化財 | 国史跡(佐敷城跡) |
復元状況 |
更新日:2024/03/28 14:34:54
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | あり |
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