別名 川俣城、御影館、臥牛城、旭館

河股城は伊達政宗の家臣であった桜田右兵衛尉資親によって築かれたと伝わる城です。境目の城として重要視され、政宗はこの城に本陣を置いて大内定綱の小手森城や塩松城を攻め落としました。1600年(慶長5年)には、資親の子である桜田玄蕃頭元親が上杉領となっていたこの城を奪取しています。現在城址には遊歩道が整備されており、土塁や空堀などの遺構を確認することができます。
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10月の定期ライブで榎本先生が推薦され、かつ来年の大河ドラマが平安時代が舞台と言うことで、予習のつもりで手に取りました。はっきり言って平安時代に関する知識はあまり有りませんでしたが、この著書には桓武天皇が都を平安京に移してから、摂関政治、院政、そして武士の時代までの約400年の貴族の権力闘争や平安京に住む人びとの営みを知る事が出来ました。特に関心を持ったのは平安京のトイレ事情で、汚い話もあり詳細は割愛しますが、テレビや映画ではなかなかお目にかかれない事なので興味深く読ませて頂きました。来年の大河まで時間はそう有りませんが、その前に是非読んでおく一冊だと思います。
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