別名 赤穴城、瀬戸山城、衣掛城、藤釣城
赤穴瀬戸山城は赤穴氏の居城で、尼子十旗のひとつとしても知られています。備後、石見、出雲と三国を結ぶ要衝にあり、1542年(天文11年)には大内義隆と陶晴隆に、1562年(永禄5年)には毛利元就によって攻められるなど、たびたび戦火に巻き込まれました。「関ヶ原の戦い」後に出雲に入封した堀尾吉晴は重臣の松田左近吉久を城主に任じて城を改修させましたが、1615年(元和元年)の一国一城令により廃城となりました。現在城址は山麓の赤名小学校脇から登山道が整備されており、石垣や土塁などを確認することができます。また赤穴氏の菩提寺である大光寺には歴代城主の墓所があります。
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道の駅「赤来高原」
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