藤沢城の詳細は不明ですが、元暦・文治年間(1184年~1190年)に諏訪の社領に属していた藤沢盛景が城主だったと伝わります。その後、1549年(天文18年)には武田信玄の家臣である保科正直が城主をつとめています。藤沢城は諏訪から杖突峠を越えて高遠との中間地点で、杖突街道を監視する目的で築かれ、利用されたと考えられています。現在城址には土塁や堀切などの遺構を確認することができ、標柱と案内板が建てられています。
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武田信玄が村上義清の戸石城を攻めて大敗した「戸石崩れ」の敗走の様を小者の視点から描く。半助は62歳、雨宮佐兵衛の小者である。小者は主人の世話をするために従軍し、戦場では戦いには加わらず主人の活躍と無事を願い、味方の救護に当たる。だが敗け戦となれば小者とて知恵、機転、勘、持てる物すべてを使って死地を脱出しなければならない。前半は戦の支度から戸石への行軍と攻城戦の様子を描き、後半戸石城から長窪城までの敗走が始まると目が離せない緊迫した場面が続く。戦の支度の様子から目を背けたくなるような凄惨な場面まで、描写がとても具体的でリアルな戦国の戦いが感じられる。
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