別名 久川城、柳川城

駒寄城は源頼朝に従って「奥州合戦」で戦功を挙げた河原田近江守盛光によって築かれた城です。河原田氏は西館・東館を平時の居館として使用し、背後の山に駒寄城を築いて詰城としました。その後、1589年(天正17年)に伊達政宗に対抗するために久川城を築いて居城を移しましたが、豊臣秀吉による「奥州仕置き」により河原田氏は滅亡しました。現在城址には土塁や空堀などの遺構が残っており、伊南小学校南側の道路沿いに案内板が設置されています。
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情報提供元:楽天トラベル
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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