赤須城は船山城主・片桐(片切)為清の子である片桐孫三郎為幸によって築かれた城です。為幸は赤須氏を称し、以降代々の居城となりました。戦国時代、赤須氏は宗家の片桐氏とともに武田信玄に従っていましたが、1582年(天正10年)に織田信長の信濃侵攻の際に攻められ落城すると、赤須氏は滅亡しました。現在城址には土塁や空堀などの遺構を確認することができます。
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621 m( 60 m)
内郭:-- 外郭:--
赤須為幸
着工 暦応年間(1338年~1342年)
1582年(天正10年)
赤須氏
曲輪、土塁、空堀
市史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 621 m( 60 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 赤須為幸 |
築城開始・完了年 | 着工 暦応年間(1338年~1342年) |
廃城年 | 1582年(天正10年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 赤須氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀 |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 |
更新日:2023/12/08 03:52:59
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 赤須城趾公園駐車場(無料) |
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歴史好きな方であっても「世界史」と言われるとカタカナ文字だらけだったり、地域を跨ぐ国がいくつも栄衰したりで手が出し難いと思います。
一方「鉄砲伝来」とか「日本銀」のお話と言うと、ここ最近のテレビ番組でも特集が組まれたりしているので、もっと詳しく広い範囲で知りたい方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この本は対馬や琉球などの「日本と海外の境界地」を中心とした戦国期の歴史から民族の流れや需要と供給の変化などを知ることが出来ますよ。
なので読み進め方は最初から読むよりも興味のあるキーワードがある章から読み始め、最後に全体を通して読むのが良いと思います。
個人的なおすすめは第6章でざっくり言うと、豊臣秀吉の朝鮮出兵の本当の目的は?その結果世界(特にアジア圏)はどう変わったか?のお話です。
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