鷹留城は長野業尚によって築かれた城です。長野氏が箕輪城に居城を移してからも「別城一郭」をなすほどの重要な支城として機能していました。そのため武田信玄は1566年(永禄9年)に上野に侵攻した際、箕輪城とこの城との連絡を分断して孤立させ、攻め落としました。その2日後には箕輪城も落城しています。現在城址には土塁や堀切のほか、大堀切などの遺構も残っており、本丸跡には城址碑と案内板が設置されています。また山麓には長野氏の菩提寺である長年寺があり、歴代当主の墓所があります。なお鷹留城址は清水一郎氏が1939年(昭和14年)に個人として買い取って全山を城址公園として開放されたそうです。
目次
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346 m( 135 m)
内郭:-- 外郭:--
長野業尚
着工 明応年間(1492年~1501年)
1582年(天正10年)
長野氏、武田氏、北条氏
曲輪、堀切、虎口、井戸
市史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 346 m( 135 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 長野業尚 |
築城開始・完了年 | 着工 明応年間(1492年~1501年) |
廃城年 | 1582年(天正10年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 長野氏、武田氏、北条氏 |
遺構 | 曲輪、堀切、虎口、井戸 |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/26 03:53:01
鷹留城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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