別名 城山城、鶴居山城、稲荷山城
鶴居城は赤松則村(円心)の孫にあたる永良三郎則綱によって築かれた城です。則綱の孫である3代・彦太郎泰秀が拾一城(豊地城)に居城を移したのちも城代を置いて維持されたようですが、1441年(嘉吉元年)に起きた「嘉吉の乱」で落城しました。その後は山名氏の支配下となりますが、1488年(長享2年)に赤松政則が播磨を奪回すると、家臣の広瀬近江守親茂・雅親父子が城主をつとめました。現在城址には土塁や堀切などの遺構が残っており、山頂からは明石海峡まで眺望することができます。
鶴居城に関するデータ 情報の追加や修正
433 m
内郭:-- 外郭:--
永良三郎則綱
着工 南北朝時代後半
永禄年間(1558年~1570年)
広瀬氏(赤松氏)
永良氏、山名氏、広瀬氏
曲輪、石垣、土塁
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 433 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 永良三郎則綱 |
築城開始・完了年 | 着工 南北朝時代後半 |
廃城年 | 永禄年間(1558年~1570年) |
主な改修者 | 広瀬氏(赤松氏) |
主な城主 | 永良氏、山名氏、広瀬氏 |
遺構 | 曲輪、石垣、土塁 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/19 03:52:11
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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