光明山城は赤松則村(円心)によって築かれた城で、家臣の海老名弾正景知が城主をつとめていました。室町時代には宇野氏重、赤松下野守政秀が在城したと伝わります。政秀が龍野城、さらに塩屋城へ移ると、この地域の郡代である内海弥四郎が城主となりました。内海勘解由範秀が城主の1566年(永禄9年)、龍野城主・赤松政秀が室山城の浦上宗景を攻めると先陣をつとめて活躍しています。その後、羽柴秀吉の播磨侵攻により落城しました。現在城址には土塁や堀切、畝状竪堀群などの遺構が残っており、山頂部には五輪塔があります。また登城口は相生駅北側の「駅北第一公園」にあります。
目次
光明山城に関するデータ 情報の追加や修正
260.9 m
内郭:-- 外郭:--
赤松則村(円心)
着工 建武年間(1334年~1338年)
赤松氏、海老名氏、赤松氏、内海氏
曲輪、石積、土塁、掘切、畝状竪堀群
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 260.9 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 赤松則村(円心) |
築城開始・完了年 | 着工 建武年間(1334年~1338年) |
廃城年 | |
主な改修者 | |
主な城主 | 赤松氏、海老名氏、赤松氏、内海氏 |
遺構 | 曲輪、石積、土塁、掘切、畝状竪堀群 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/03/29 03:51:55
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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