春日城は春日氏によって築かれたと伝わる城です。武田信玄が佐久へ侵攻すると、以後は芦田城主の芦田信守の支配下に置かれました。「天正壬午の乱」では信守の子の芦田信蕃(依田信蕃)は徳川方につき、この城を拠点に佐久郡の調略をおこなっています。一時期、北条方の望月氏に春日城を追われましたが、奪還しています。信蕃が戦死した後は長男である依田康国が家督を継ぎました。康国は信蕃の功績を認めた徳川家康から「康」の偏諱と松平姓を与えられています。現在城址には土塁や堀切などの遺構が残っています。また山麓の居館跡にある康国寺は、康国の菩提を弔うために松平康勝によって建立された寺院です。
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情報提供元:楽天トラベル
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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