静原城は三好長慶によって築かれた城で、この地の土豪である山本氏が守備していました。1573年(元亀4年)に織田信長と将軍・足利義昭との不和が決定的になると、小倉山城主・山本対馬守実尚は義昭方につき、居城を離れてこの城へ籠城しましたが、明智光秀に攻められ落城しています。登城口は静原神社の本殿裏側にあり、途中まで遊歩道が整備されています。なお一城別郭として登録しましたが、山頂の曲輪とは大堀切で分断されていることから、南側にある尾根上の曲輪は静原城攻略のために光秀が築いた付城の説や、落城後に鞍馬街道と敦賀街道を押さえるために新たに築かれたとする説があります。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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