別名 矢掛陣屋

三成陣屋は幕府の天領を管理するために、代官の駐在所として築かれた代官陣屋です。その後、1699年(元禄12年)に板倉重高が庭瀬藩主として入封すると、以降明治に至るまで板倉氏の家臣によって支配されました。現在陣屋跡は農地や住宅地となっており、わずかに石垣の残るゲートボール場に石碑が建てられています。また奉行屋敷が個人宅として利用されており、脇本陣高草家表門に陣屋門が移築現存しています。なお本陣・脇本陣がともに当時の姿のまま現存し、国の重要文化財に指定されているのは全国でも矢掛宿のみです。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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