高縄城は戸田氏の最初の居城として知られています。戸田氏中興の祖とされる戸田弾正左衛門宗光は今川義忠に従い渥美半島に進出すると、この城を築きました。その後、宗光は田原城を築いて居城を移しましたが、以降も田原城の支城として維持されたようです。「桶狭間の合戦」後の1564年(永禄7年)には三河統一を進める徳川家康によって攻略され、家康は戸田忠次を城主に任じています。しかし1590年(天正18年)の家康の関東移封にともない、忠次も伊豆下田に移ったため廃城となりました。現在城址は豊橋市立家政高等専修学校の敷地となっており、校門を入ったところに城址標柱があります。また学校の北側と西側に堀や土塁の遺構を確認できます。
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駐車場 |
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